PRという病
「ランブロワジーでメシ食いたくない?」と、某企業の御曹司が呟いたのなら、「いいね、久しぶりじゃん。オレ丁度イギリス出張があるんだよね」と続く。いつもの光景。
いつからだろうか、同世代が集まってご飯とお酒を楽しむという会を74会と呼ぶようになったのは。1974年生まれが集まって、たわいもない話を楽しんでいる。3か月に1回の頻度で開かれるこの会のメンバーは、某有名企業の御曹司から、ITベンチャーの社長、アーティストと呼ばれる職業もいれば、会社員だっている。けれども、こういう会だ、会社員といっても代理店や出版社、PR関係など華やかな業界のものが大半を占める。
今日の会場たるレストランは、某御曹司の新しいレストランだ。彼の一族は不動産投資を格にテナント運営で成功を収めている。といえども、レストラン経営は難しいらしく、食道楽の彼の趣味という側面が大きい。ニューオープンにもかかわらず、空席が目立つ。
「たか子ももちろん行くよなー?おまえ、好きだもんな。」と、不意に呼びかけられたたか子は驚きながらも「もちろんに決まってるじゃん。でも、有休とれるか。私勤め人だよ」と微笑みながら条件反射的に応える。
たか子。42歳。某ラグジュアリーブランドのPRマネジャー。その美しい外見と敏腕ぶりから、この業界で知らないものはいないと言われるほどになった。新卒から、20年PR一筋で働いてきた。元々の社交性もあり、交友関係は幅広い。
「もちろん決まってるじゃん」
職業柄ステイタス(端的にいうと金持ち)のネットワークを広めるために、公私問わずに誘いには断らないようにしてきた。接待と称した顧客との土日の「デート」だってこなしてきた。その美しさと誘っても断らない(仕事だからね)態度は、多くの既婚未婚問わず、男性を勘違いさせてきた。彼女自身もそれをわかって、その美しさを利用してきた。
「もちろん決まってるじゃん」心の中で2回繰り返した。
国境を越えた食事会。たか子が大好きなパリ。
だけれども、最近は素直に喜べないような感覚が心を覆う。
「もちろん決まってるじゃん」これは何のせいなのか。
たか子は華奢なブルゴーニュグラスに注がれた、御曹司のお気に入りのヴィンテージだという赤ワインを飲みほした。
境界をわけること
仕事は仕事、プライベートはプライベート、そっちのほうが生きやすくない?
仕事は早く終わらせて、プライベートが大事だよね。
と激務を経てわたしが至った考えだったんだけれど。
そんな器用なことはできなくて、わたしにとっては仕事とプライベートは同じところにあるし、その境界が曖昧なほうが仕事がしやすいのだ。
両親を見てきて、働くことって生きることそのものだし、しんどいけれど豊かなことだと思うからだ。
そして、私が起業や自営業を選ばないのは、企業で働くことで得られる底上げされた経験がほしいからだ。
だから、わたしにとって重要なのは、何かを成長させることにヒト(コミュニケーション)の側面から向き合い、自分が好きだと思う人と働くことなんだろう。結局ヒトに戻るのは、商売人娘の血なのかな。
働くことに対して自分がどのようなスタンスをとるのか、ライフステージ、いや、日々変わるかもしれないけれど、このテーマは常に振り返っていきたい。
でも私は、こういうスタンスだと気づけたのが良かった。
彼の料理に一番のスパイスは
わたしには大好きなシェフがいて。シェフは男性なのだけれど。
この好きという感情は難しく、恋人になりという気持ちの類ではなく、心の中にある「何か」な感情であることだけが唯一の事実なんだけれど。
わたしたちは、仲がいいと思う。根底で同じ思想を共有しているという確信はあるし、言いたいことを言わなくても理解できると、お互いが心の中で信じている。
わたしたちは、ただはっきりと、わたしたちは同じ側にいる人間で、同じような経験をしてきた人間であることを、そのことだけを無意識に共有している。それは、ほんの些細な瞬間だけれども、目があった時や肩が触れ合う時、その時の微笑みでわかるんだけれども。
わたしたちは同じ側の人間であるはずなんだけれど、同じ人生は歩んでいないし、同じ環境に身を置いているわけでもない。そんなもどかしさ、振り返ると不思議な感覚を持っていたことは事実だった。
ある夜、彼のレストランに行ったとき、よくあることだけれど常連しかいなくて、カウンターの向こうに立つ彼は、とても同じ側の人間ではなく、そこには彼という主体が存在していた。
ふと、純粋に、心から、口を突いて出てきた言葉は、ああ、そうか、羨ましい。同じ側の人間だけれども、私が欲しい何か、それは往々として人との深い繋がりで合ったりするのだけれど、表層は注目と称されるもの。それを持っている。誰しもが彼の名前を呼び、彼の話をし、彼を気に掛ける。
わたしの心の「何か」の感情を理解した。
それは、憧れ、よりも嫉妬。
ああ、私たちはやはり同じ側の人間だ。
自分が中心にいないと気が済まない。
カウンター越しに微笑む彼は少し驚いた顔でわたしを見て、わたしはクスッと笑ってしまったけれど、少しの安堵と少しの嫉妬をスパイスに、今日もわたしは彼の料理を食べるのだ。
小話にもならない女の世界の話
女たちの世界を知るようになったのは、つい最近で、そこにはドロドロとした小話のネタになるような、そして少し刺激的なナニカが転がっているのだと思っていたけれど。
三十路になれば人生色々だとわかるから、なんてちょっとカッコイイお姉さまたちが言っていたけれど。
女の友情なんて連帯だからと、少し賢いヒトが言っていたけれど。
とある事情で、いわゆる高級キャバクラに。偉い人と一緒だったということもあり、お店側がこれでもかと「お店の売れっ子かつ気遣いができる子」を隣に座れせてくれた。
みんな、「キャラ」がある美人で、なでしこ系から、ギャル系、お姉さま系と様々。女の私にもすごく気を使ってくれて、こちらまで心地よくなってしまうようなひと時。
ふと、話の間が空いたとき、「わたし」の詮索が始まった。仕事のことから、学歴のこと、プライベートのこと。そこには、ガールズトークと言われる軽さもあったし、軽さで割り切れない何かもあった。
一人の、彼女は18歳からこの世界で、今年30歳になる、きれいなお姉さんだったんだけど、彼女が、「わたし」を羨ましいと言葉をこぼした。それは、お世辞やセールストークの類のものだとも思うんだけれど、お互い何かを感じたのか、ポツリ、ポツリと話し始めた。
羨ましいのはこちらのほうで、美人で、気遣いができて、今度は新店のママになる子。それは売り上げている証、成功のシンボル。
私といえば、仕事は閉塞感いっぱいで、今後のキャリアなんて見えもしない。
ただ、外側についている社会的記号は少しだけ輝かしい。張りぼて。
学歴があって、英語が話せて、外資系でマネジャーして、私にはないものを持ってて羨ましい、と彼女は言う。けれど、私は、彼女の、一つの世界で上り詰める覚悟や、気遣い、美の探究心。羨ましいし思いしか生まれない。
やり取りの中で、お互いをお互いが羨ましく思うの、なんだか可笑しくなって、緩くつながる同年代という心地よさなのか、気持ちを理解してくれる共感者なのかわからないけど、結局同じような話を繰り返していた。
最後は、どれだけ売り上げノルマがきついか、下の子たちに的確なフィードバックが与えるのが難しいか、という、たわいもない中堅トークに収束したのもご愛敬。
そこから、ラインのトークが盛り上がって!今では親友!みたいな、世界は広がらないんだけれど、時折お互いを気遣う関係。
あの夜、ああ、こういう夜もあるのだなと私は思ったし、彼女もそう思ってくれているといいなと思ったし。
同じ女でも様々な人生があるけど、どこかで共感して、どこかで反発して、そしてそれぞれの人生を歩んでいくしかない。このことだけは、知れてよかった。
小話のネタになる女の世界は知らないけれど、わたしの思い出には残る。
そんな夜だった。
マイルドヤンキーでもグローバルエリートでもない
兎にも角にも生きにくい世の中だ。
下を見ればキリがないし、上を見てもキリがない。
小さいころの夢だけでは食べていけないことも知ってるし、今の仕事だって別にやりがいがないわけでもないけれども、やり過ごすには辛すぎる。
本当に何がしたいかなんてないことを知るには十分に歳をとったけれども、夢中になる何かは探してしまう。
でも、周りと比べない自分の人生なんてまだまだたどり着くには遠そうだ。
趣味がないわけでもないけれども、仕事と趣味なんて完璧に分けれない。
パートナーがいて結婚すれば悩みから開放され、新しい世界が広がるかなんて嘘なのも知ってる。
さて、兎にも角にも生きにくい世の中だ。
というお話。